KENSHIのブログ VitaminR2

コンサルタント・デザイナーとして活動中、内田憲志によるブログ。
 
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1988年 昭和63年と言えば・・・

 

フリー素材で見つけた東京ドームの画像。

 

なぜ東京ドームなのか?

 

そ、今日はプロ野球の開幕日!

 

でも、なぜ東京ドーム?

 

カープはいないぞ。

 

そうなんだけど、個人的に特別な気持ちで

今日を迎えた。

 

だって、30年前の昭和63年に

東京ドームがオープン。

そこでプロ野球の開幕戦を

見た時の興奮を未だ鮮明に覚えているからだ。

 

前年の昭和62年までは後楽園球場。

TV中継で建設中のドームが

映っていたのをよく覚えている。

 

昭和63年のあの日、

「いよいよ新時代が到来だ」と

思ったもんだ。

 

しかし、昭和63年のプロ野球と言えば、

結果として昭和最後のシーズンとなったし、

イロイロと今でも語り草となっている

話題が多かったシーズンだったような。

 

 

まずは「10.19」。

川崎球場でロッテと近鉄のダブルヘッダー。

ロッテが踏ん張って、金田監督の抗議シーンも

強く記憶に残っている。

残念ながら2試合目が引き分けに終わって、

西武の優勝が決定。近鉄が優勝を逃したことで

阿波野投手がバスに乗り込む時に泣いていた。

 

 

あの吉村選手の大けがも昭和63年だった。

デーゲームの札幌円山球場でな。

栄村選手と交錯して・・・。

あれは可哀想だった。

 

 

続いて「第三の外国人選手の活躍」。

中日に入団→近鉄へトレードされた、

ラルフ・ブライアント。

デービス逮捕という衝撃的な事件があって、

近鉄が中日の2軍にいたブライアントを獲得。

近鉄では1軍に上がって、

ホームランを量産したことを覚えている

おじさんは多いと思う。

 

そしてもう一人が、巨人の

ルー・ミンスー(巨人ではロ・メイシ)。

クロマティ離脱後、1軍に昇格。

豪快なスイングでホームランをバンバン打った。

翌年からまた2軍暮らしが続いて可哀想だった。

 

当時は、外国人選手は1軍に2人まで、

保有も3人までだったからね。

安い年棒で、2軍にいることが前提で

獲得された外国人選手を

「第三の外国人」と呼んでいたんだ。

元々はブライアントもそうだったし、

西武のバークレオもそうだったよね。

 

 

懐かしい。

しかしあれから30年かぁ。

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